日语毕业论文
齐 齐 哈 尔 大 学
毕业设计(论文)
题 目
学 院
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学生姓名
指导老师
成 绩中日両国の端午節の違い 外国语学院 日语074班 王茜 盐田滋
2011年6 月 18日
摘 要
农历的五月初五是中国的传统节日——端午节,它是中国民族的传统节日。而且,现在,端午节是中国非常盛大并且庄重的节日之一。众所周知,中国的农历五月初五
是端午节,为纪念伟大的爱国诗人屈原而设立的。实际上,日本也有端午节,阳历的 五月五日就是日本的端午节,而且也是日本传统的一个节日。
两国端午节的起源是相同的 ,但是,发展却是有差异的。因为各种各样的传统文化在变化发展中体现出来,所以,两国的节日的庆祝活动方式出现不同。
关键词:端午节的起源;变化发展;纪念活动的形式;
要 旨
旧暦の五月五日は中国民間の伝統の祝日----端午の節句であり、それは中華民族の伝統的な祝日である。今でも、端午の節句は中国の非常に盛大で厳かな祝日の1つである。周知の通り、中国端午節は旧暦5月5日だ。偉大爱国的な诗人として屈原さんのため设立している。実は、日本にも端午がある。太陽暦の五月五日は日本でも端午の節句であり、日本の伝統的な祝日のひとつである。
両国の端午の節句は起源は同じだが展開が異なり、変化発展する中でそれぞれの伝統文化を体現していったので;両国の祝日の活動に相違が生じた。
キーワード:端午の節句 起源; 記念活動の形式;
目 次
摘 要 ................................................................ 1 要 旨 ............................................................... II
はじめに .............................................................. 4
一、日中両国の端午節の時間の上の違い .................................. 5
二、日中両国の端午節の風俗の上の違い .................................. 5
(一)中国の端午節の風俗 ............................................ 5
(二)日本の端午節の風俗 ............................................ 6
三、日中の端午の節句の活動の方式の上の違い ............................ 7
(一)中国の端午節の活動の方式 ...................................... 7
(二)日本の端午節の活動の方式 ...................................... 8
(三)日中の端午節の活動の方式の上の対比 ............................ 8
四.日中両国の端午の節句の意義 ........................................ 9
(一)中国の端午節句の意義 .......................................... 9
(二)日本の端午節句の意義 .......................................... 9
(三)日中両国の端午節の意義の対比. ................................ 9
おわりに ............................................................. 10
参考文献 ............................................................. 11
謝 辞 ............................................................... 12
はじめに
日本語を勉強した、日中の節句に興味を持った。特別な日中の端午の節句です。同じ「端午」の言葉を使うことから、やはり中国の暦からのルーツを感じさせるが、日本の「端午節句」と中国の「端午の節句」はどこが似ていてどこが違うのだろう。旧暦の五月五日は端午の節句であり、それは中華民族の古い伝統の祝日である。端午の節句は端五とも端陽とも呼ばれる。それ以外にも、端午の節句にはたくさんの別称がある。例えば:午日節、重五節、五月節、浴蘭節、娘の節、天中節、地蝋、詩人の節、竜の日など、名称は異なっているが、各地の人民は祝日を祝う習わしにはやはり相異が多い。中国人民に長く続けられてきた伝統の祝日なので、今では国家の法定の祝日と休日になっている。日本の伝統の祝日の中でも [端午]という祝日がある。ただ時期がちがい、太陽暦5月5日である。その上、呼び方も異なって、 「子供の日」といい、日本の「五節句」の一つである。
一、日中両国の端午節の時間の上の違い
日本の端午節に平安時以後中国のから入ってきたのてある。端午節はもともと中国では陰暦の五月五日です。しかし、日本で独自の発展と変化を通して、奈良時代が太陽暦五月五日に落着した。
二、日中両国の端午節の風俗の上の違い
(一)中国の端午節の風俗
中国の端午節は、中国でもっとも有名で、伝統な祝日の一つです。その由来について、いくつかの説があるが、普遍に受けられているのは、屈原の説です。
毎年の陰暦五月五日は、中国の端午節です。これを祝うために、人はドラゴンボートのレースをし、粽を食べ、雄黄酒を飲んで、屈原を記念する。ほかにも、家の前におとこよもぎをさし、子供に五色の糸を結ぶなどの習慣がある。
伝説では、屈原の死後、楚国の人は非常に悲しんで、みんな江のほとりにきて屈原を送りました。漁夫たちは船に乗って、江のあちごち探して、屈原の遺体を見つけようとしていました。ある漁夫は、屈原に持ってきたおにぎりや卵を江に投げ込みんた、魚などに、これらを食べて、もう屈原の体を食べないように。みんなはこれを見て、同じことをしました。あるお医者さんは、雄黄酒を一缶江に流し込みんた、ドラゴンを酔わせ、もう屈原に害を与えないためだといいている。その後、おにぎりがドラゴンに食べられないように、ある木の葉でご飯を包み、外で彩色の糸で結び、粽になる。今は、木の葉ではなくて、葦の葉で包んでいる。
満族の伝説では、神さんが人になり、人間に降りて、油を売っている。「一缶で2両、二缶で3両」と叫び、みんなは急いで彼の油を買いにきました。ただ一人のおじいさんは、それを買わずに、化けた神さんに「計算が間違えた」といって去りました。後で神さんはあのおじいさんを見つけて、神たちは災禍を下すといいました。おじいさんに、おとこよもぎを家の前にさして、無事ですむことができるといいました。でもおじいさんは善良で、それをみんなに言いました。みんなの家の前におとこよもぎがさされているのをみて、神さんは、災禍を下すことができなくて、あきらめてしまいました。それからみんなは端午のとき、いつもおとこよもぎを家
の前にさし、災禍を除けると信じている。
子供が五色の糸を結ぶのも、病を除けるためです。結ぶときは、子供が話すのは禁止です。結んだ後も、それをきることも、とることもできない。初雤か、お風呂に入るときに、それを川に投げ込みんた。川に、病を持っていこうと祈る。
(二)日本の端午節の風俗
平安時代は日本の端午節句中国から引き入れる。端午節は、その时期に盛りを迎える菖蒲を様々な形でふんだんに用いることから、菖蒲の节句とも呼ばれている。菖蒲には、古来から健康を保ち、邪気を祓(はら)う力があると信じられている。菖蒲はいわゆるハーブのように、その叶から出る强い香りが活用されたのです。菖蒲汤に入浴し、菖蒲酒を饮み、菖蒲枕に眠るなど、端午の节句は、まさに菖蒲づくしの一日でした。また、こうした薬効の活用だけでなく、家の轩に菖蒲を饰って邪気を祓うという风习も古くから行われるてした。
5月は、春から夏への季节の変わり目にあたり、疲れが出たり病気になりやすい顷です。また、田植えという、稲作の最大の要となる行事が行われれるため、これにそなえて十分な锐気を养っておく必要がありました。端午の节句には、そんな时期を上手に乗り切る知恵が盛り込まれているのです。
日本に端午の節句の童話があります。伝説はまっ暗やみの道を、いそぎ足で歩いていくと、急にせすじがさむくなるてした。 ふと前を見ると、なんと、フワフワとひとだまが飛んでいるのです。 「ややっ、これはきみょうな」
さむらいは刀を抜くと、そのひとだまを追いかけていきました。ひとだまはマツの木のへいを、フワッとこえて、家に入りこんでしまいました。さむらいがへいの中をのぞくと、ねぼけ顔のおじいさんがからだをおこして、「ばあさんや。わしはいま、ゆめをみていた。をさんぽしていたら、さむらいにおいかけられたので、にげかえってきたゆめだ」と、はなしています。さむらいはそれをきいて、ビックリしました。としをとると、夢を見ている間に、たましいが抜け出すと聞いたことがあるからです。(わしも、としをとったら、きをつけねば) さむらいは、急いで家に帰るてした。
だから、それ以来、男の人と武士精神を記しました。日本ではこの日に、男の子を持っている家では、鲤のぼりを挂け、武士の人形や柏饼を家の中に置きる。地方では、柏饼や粽を食べることもある。
三、日中の端午節の活動の方式の上の違い
(一)中国の端午節の活動の方式
中国の「端午節」は旧暦の五月五日を祝う。日本で粽(ちまき)を食べるのと同じように、中国でも「粽子」を食べる。しかし、これは日本の粽とは异なる。地域によって様々な种类があるが、「粽叶」と呼ばれる叶二枚をサイコロ状に硬く折り、その中に生のもち米と豚肉(鶏肉や虾を使う地域もある、具は様々)を入れ、味付けし(醤油や砂糖、酒などを入れ)、それをゆでたものが主流。さらに、中国の粽の形は日本とは违って、三角形で、ピラミッドのような形をしています。浙江省.嘉兴という都市の「粽子」は中国で有名。
どうして「端午节」に「粽子」を食べるようになったかには由来がある。戦国时代楚の国に、王の侧近で诗人でもある「屈原」という人がいた。彼は王に忠义を尽くすが、彼をねたむ政敌に陥れられ、失脚、国を追われた。(屈原は、ずっと秦に胁威を感じ、斉と手を组み秦を攻めるよう王に进言するが、结局楚王はそれを无视して秦に攻められることになり、楚王は秦に囚われ、最后は病死。)屈原は、长い年月をかけて放浪しながら、楚の国境近くまで辿り着き、そこで楚が秦に败れたことを闻いた。祖国の行く末に失望した彼は「汨罗江」(今の湖南省、つまり楚の国にある川)で、「ここはまだ秦の兵士たちが足を踏み入れたことのない清い土地だ。」と思い、そこにあった石を体にくくりつけ、“祖国の清い石”と共に身を投げて自杀する。それが旧暦の五月五日。
屈原の死を闻いた楚の多くの民は川までやってきて、彼の死体を捜がすが死体は见つからなかった。そこで、民たちが「鱼が屈原の死体を食べてしまわないように」と愿い、太鼓の音で鱼が惊いて逃げていくよう太鼓を敲きながらドラゴンボート「龙舟」で川を旋回した。また更に、鱼が屈原の死体を食べる代わりに「粽子」を食べるようにと、川に「粽子」を投げた。以降、屈原の命日に「粽子」を食べ、またこの时期にドラゴンボート(龙のボートの竞技)「赛龙舟」が开催されるようになった。
ちなみに、なぜ龙の舟「龙舟」だったのかという理由に、あるひとつの说がある。旧暦の五月五日といえば、初夏。この时期は、昔から疫病などが流行り、「悪月」と呼ばれた。屈原の时代以前から「龙の恐れをもってすべての灾难、疫病を駆除する」と言われてきた为に、「龙舟」を使ったとされる。
また、「端午節」には、家の门にヨモギ「艾草」やショウブ「菖蒲」を挂けたり、「雄黄酒」というお酒で子供の额に「王」の字を书いたりする习惯もある。これらはすべて、“お祓い”「避邪」の意味があり、农耕社会时代の疫病や天灾への恐れが反映されている。
(二)日本の端午節の活動の方式
日本に、端午節の祝日では龙舟の活動をともなていないが、その代わりに武士のアイドル、甲冑を飾り、子供の健康な成長を期待祝福。例えば、男の子を持っている家では、鯉のぼりを掛けて、武士の人形や柏饼を家の中に置きます。地方では、柏饼や粽を食べることもある。このよに、日本の武士精神を代々つたえているそれぞれの祝賀活動は両国の文化の相違性を表している。
男の子を持っている家では、鯉のぼりを掛けるに関して中国からどうわがある。伝説は、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時、鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。中国では、龍は皇帝の象徴ですから、とっても縁起の良いものだったのでしょう。ここから、人生の中で困難に遭遇しても、この鯉のようにたくましく立ち向かい、やがて成功することを願って鯉のぼりが生まれたと言われます。そして、この日に、男の子を持っている家では、鯉のぼりを掛けてきった。
中国にせよ、日本にせよ、端午はただの形式になっている。都市に住んでいる人にとって、ただ定休日が一日伸ばされて、柏饼を买うだけです。中国の状况は、普通、定休日もないようです。
(三)日中の端午節の活動の方式の上の対比
中国に、端午節の祝日では龙舟の活動している。ただし、日本に、端午の節句の祝日では龙舟の活動をともなていない
中国にせよ、日本にせよ、端午はただの形式になっている。都市に住んでいる人にとって、ただ定休日が一日伸ばされて、柏饼を买うだけです。中国の状况は、普
通、定休日もないようです。
四.日中両国の端午節句の意義
(一)中国の端午節の意義
周知の通り、中国で端午の節句は主に中国の2千年あまりの長い歴史記憶されている伟い爱国的な诗人として屈原さんのため设立しました。中華民族の民族的英雄と伝統文化の美徳に対する尊重と継承を体現したものである。
(二)日本の端午節の意義
日本の「端午の節句」は、中国の端午節が伝わったものであるけれど、しかし、日本の変化と発展に従ってって、日本の習慣の中で独自なアレンジが和わって発展するうちに、「子供の日」という意義も和わったことがうかがえます5月5日は古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、今こどもの日は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。更に、日本の伝統の武士道の文化に対する継承と尊重もおる。
(三)日中両国の端午節の意義の対比.
日中両国の端午節の意義は多い変化が生じであるけれど、しかし、健康で幸せな生活することに対する憧れとその追求を体現の重要な意義が変化ではあるない。
おわりに
この論文の目的は両国の端午節の由来、両国の祝賀活動、意義の違いと関連を研究することにあって、端午の節句が両国の文化に占める意義と役割を理解することにある。祝日が体現している民族文化の相違の分析を通じ、更に両国の文化の関連と相違を探究したものである。
中国では、端午の節句の意義は主にその意義を記念するところにある。一説には端午の節句に竜の祝日である。今一つは愛国主義詩人の屈原が逝去したことを記念するものと言われる、中華民族の伝統の美徳を体得している。竜船を競ってやちまきを食べるなどそれぞれ活動、これらの祝日はすべて中華の伝統的美徳を体現し発揚している。
日本の端午節はまた[子供の日]とも称されているが、本来男の子の祝日である。この日家に男の子いれば、鯉のぼりを立てて、ちまきとコノテガシワの葉の餅を食べて祝賀します。この日の意義は鯉は力はあるが、いざとなれば、命を惜しまない魚を考えられ、鯉のように子供の健康な成長と出世を望むもので、中国の息子の出世を願う”のと共通する。ショウブを挿し、艾葉をいぶし、ショウブの酒を飲む風習が、広く伝わり、伝統となって、日本人は“ヨモギの旗は百福を招き、ショウブの葉が千切るのは日常よくないことというようになった。 よって日本の端午の節句は子供に対する多く期待を託し祝福するものである。この論文を書くときは、日中両国の端午節の文化、風俗がよく知る、文献、材料を調べることに通じている。これは目的と成果が本論を書く。
参考文献
[1]「中日韩对照现代日本事情」大连理工大学出版社2005年8月
[2]「现代日本人风俗习惯」马凤鸣著大连理工大学出版社2001年3月
[3]「日本风俗习惯」马兰英著大连理工大学出版社2006年8月
[4]「日本文化概论」 南开大学出版社2003年12月
[5]「日语阅读」冉毅著湖南师范大学出版社2005年1月
[6]「中国八大传统节日」 傅德民著 重庆 2005年9月
[7]「明解古語辞典」金田一京助
[8]「都道府県別冠婚葬祭大事典」主婦と生活社
[9]「大辞林」
謝 辞
大学の最後の時期として、卒業論文を無事に完成することがてきました、私の大学生活の終わりとなりと言うと意味です。この時私の気持ちは複雑で、卒論文の完成の喜びもあり、答弁に直面する心配もあり、大学から離れる恋しさもあり、先生に感謝である。
この論文は、テーマを選定したとき、どんな研究方向をすればいいのかとずいぶん考えました、私の指導教官である先生から教えてもらいました。そして、本論文の作成にあたり、終始適切な助言を賜り、また丁寧に指導して下さった塩田滋先生に感謝します。
本稿をまとめるにあたりまして、指導教官塩田滋先生にいろいろご指導とご支持をいただき、また、日本语学部のほかの先生よりもいろいろご助言をいただくことに心よりお礼申し上げます。 資料収集やコピーの面でご协力くださった日本语科の先生方、友人达に感谢の意を表したいと存じます
最後、外国語学院とすべての授業の担当先生、大学の間、私に対する育成に感謝致します。
本当にありがとうございました