近现代文学史概观
近現代文学史の区分:
一 明治、大正(近代) 昭和、平成(現代)
二 近代前期、近代後期、戦後
三 近代文学の啓蒙期(明治維新から十九年まで)
近代文学の誕生と成長(写実主義期と浪漫主義期)
近代文学の確立と展開(自然主義期と反自然主義期から、大正末期プロ
レタリア文学やモダニズム文学まで)
現代文学の成立(昭和前期の文学)
戦後の文学
近代文学の背景と特質
背景:1)欧米文化の輸入、模倣。 2)個人主義や自我の覚醒。
3)国粋主義、皇室中心主義、軍国主義
特質:1)西欧文学の影響。 2)小説中心 (私小説が主流)。
3)戦争文学
啓蒙期の文学(明治元~十九年)
背景:1)文明開化、明治政府改革。 2)啓蒙思想家の活躍 (西周、
中村正直、福沢諭吉)。 3)前代思想の残存
特徴:1)実用主義で、文芸は軽んじられた。 2)文学を政治啓蒙の手
段とした。 3)『小説真髄』は初めて近代文学の方向を明らかにした
坪内逍遥
評価 西欧文学の理解のもとに旧時代の勧善懲悪主義を批判し、写実主義による
新小説を提唱実践して近代文学を基礎づけた先覚者
文学的活動:1)小説 『当世書生気質』 『細君』 (二葉亭四迷との交友)。
2)評論 森鴎外との<没理想論争>。 3)劇作 『桐一葉』。 4)
翻訳 『ハムレット』をはじめ、沙翁全集の翻訳
小説真髄
一 『小説真髄』の内容 (明治18~19) 上下二巻からなり、上巻は本
質論、下巻は技法論という構成
二 『小説真髄』の基本点: 1) 文学の自律性を主張した。 2) 文学
の中心ジャンルに小説をすえた。 3) 写実主義を提唱した
三 『小説真髄』の価値:近代日本最初の文学理論書
硯友社の成立
背景:欧化主義の風潮は、政府が密かに進めていた条約改正の失敗とともに退潮を見せ、思想界や一般社会において、盲目的な欧米一辺倒を批判する国粋主義の反動を招いた。1885年、尾崎紅葉、山田美妙らが中心となり硯友社を結成した。近世の古典を尊重して、それに学ぼうとしながら、写実主義の文学を進めた。機関誌「我楽多文庫」を創始、のち「文庫」と改題。
硯友社の価値
1)文学の価値を広く社会一般に知らせ、出版界をも発展させた。
2)当代の文学を改良し、各方面に新分野を切り開き、こうした努力は写実主義
を進展させ、次の時代を拓く自然主義文学の台頭に一つの契機を与えた。
3)擬古典主義であり、真の近代文学とは言えないが、近世文学から近代文学に
移る過渡的、架橋的な役割を果たした
山田美妙
<概括> 1885年に尾崎紅葉らと硯友社を結成したが、すぐに硯友社を離れ、坪
内逍遥の影響下に文学改良主義者として小説、新体詩、演劇、批評などに旺盛な
活動をした。
<文学的活動> 逍遥の『小説神髄』によって改良主義者に転じて、「言文一致論
概略」などで文体改良論を固めつつ、「武蔵野」や「胡蝶」などの詩的な歴史物語
を口語体(「です体」)でつづった。
尾崎紅葉
<概括>近代最初の小説家の結社硯友社を興して首領となり、明治20年代の最有
力作家である。種々の方法を試みて時代風俗と人間を描き、文学における芸術性
と大衆性をともに生かすべく努力した。『金色夜叉』などにより、明治大正期を通
じてのベストセラーである。
<文学的活動>:1889年「二人比丘尼色懺悔」(雅俗折衷体)を出世作として
発表した。西鶴を模倣して「二人女房」、「三人妻」を発表。 1896年
「多情多恨」(「である」調)を発表。 1897年から6年間にわたって「金
色夜叉」(代表作)を連載し、未完のまま終わった。
『金色夜叉』
長編小説。1897年から六年間にわたって断続的に連載され、未完のまま終わった
が、高利貸しを「金色夜叉」としたところに新意がある
幸田露伴
<概括>紅葉と同じく西鶴に学びながらまったく対照的な作品世界をつくりあげ
て、明治20年代に紅露時代を築いた。小説のほかに史伝、随筆、評論、考証など
に大きな業績を残している。
<文学的活動>
前期(理想主義期) 『露団々』を処女作とし、『風流仏』によって一躍文壇に声
名を馳せた。『五重塔』などの代表作を発表したが、文壇作家としての幕を閉じる。
後期 創作より、考証、注釈、翻訳に入る。晩年は「芭蕉七部集」の研究に没頭
した
森鴎外
作品:評論→月草 史伝→渋江抽斎 小説→安部一族、
雁、舞姫 詩歌→うた日記 翻訳→即興詩人、於母影(詩)
『舞姫』
短編小説。1890年『国民之友』に発表。
主人公 太田豊太郎、エリス、相沢
価値 二葉亭四迷の『浮雲』とともに日本近代文学の出発点を示す記念碑的な作
品で、二つの作品は同様に近代知識人の挫折とその悲しみを描いているにしても、
『浮雲』は「反逆者の悩み」であり、『舞姫』は「妥協者の悲しみ」である。近代
最初のテーマ小説であり、西欧小説作法によって作られた短編小説の鼻祖である。
文体においても、格調の高い漢文体、優美な和文体、論理的变法を骨格とする欧
文体を巧みに融合調和した雅文体。
北村透谷と『文学界』
背景 絶対主義天皇制の確立
主張 硯友社の旧い文学意識に批判の目を向け、当時の文壇の一隅から若々しい
近代的な自我の叫びをあげ、浪漫主義文学運動を先導した。
成立 1893(明26)年雑誌『文学界』を創刊し、思想的文学の中心は、北村透谷
である。
評価 『文学界』の浪漫主義運動は、のちの文学者とくに明治30年代の浪漫主義
や自然主義の作家に大きな影響を与え、日本近代文学の骨格を形作った。
『文学界』の同人
北村透谷のほかに、島崎藤村、上田敏らがいて、田山花袋、柳田国男、樋口一葉たちも寄
稿している。透谷の評論、一葉の小説、藤村の詩が前·中·後期をそれぞれ『文学界』を代
表している。しかし、小説には一葉の作品のほかに見るべきものが乏しく、評論と詩が中
心であった。思想的には、前半は透谷に見られる自我の拡充、内部生命の尊重がリードし
ており、後半は上田敏の芸術至上主義がリードしている
北村透谷
1868年 神奈川県に生まれ、はじめ政治家を志したが、失敗してから文学に転じ、
1891年『楚囚之詩』を自費出版した。1892年『女学雑誌』に評論「厭世詩家と女
性」を発表する。1894年(26歳)に自殺した。
代表作 「厭世詩家と女性」 (日本において初めての大胆な自由恋愛の宣言)。
「内部生命論」(自我の尊厳と人間性の探求を主張する文芸論)
樋口一葉
美しい彗星の如く現れて消えてしまった<今清紫>ともいわれた天才女流作家で
ある。
<経歴> 15歳のとき「萩の舎」の塾に入門し、和歌を中島歌子に学び、その後
小説を半井桃水に学んだ。明治27、28年から『文学界』に寄稿して、文壇に注目
されたが、若年にして世を去った。
<作風> 西鶴調の雅俗折衷の文体を用い、社会底辺で貧困と封建道徳の風習に
縛られて生きる女性の哀れさ、抒情豊かにリアルに描いた。
代表作:
大つごもり 短編小説。1894年『文学界』に発表。
たけくらべ 1895年に発表。一葉の小説中最も有名であり、演劇、映画にも脚色
上演されている。小説の特色は何といっても吉原の裏町を舞台としたことである。
十三夜 抒情性の強い作品である。
日記 16歳から書き始めた日記が、読者を予想せず赤裸々に自分をつづったもの
で、一葉研究に欠かせない資料である。
国木田独歩
評価 独自の自然観と人間観によって山林海浜に住む名もない<小民>への共感
と自然への憧憬をうたった短編小説を発表する。本質的には知性的な浪漫主義作
家。晩年は自然主義的傾向。
文学特色:1)「人間の教師」であることを文学者の使命とみる文学観である。
2)「山林海浜の小民」や都市の「小民」など下積みの平凡な人々への共感と愛情
が込められている。
文学的活動:三期に分けられる。1)1895年から1901年の前半まで、自然と人
間の交錯を描いた浪漫的抒情の時期である。「山林に自由存す」などの抒情詩、随
筆「武蔵野」、小説「源おぢ」。 2)1901年の後半から1905年までの、次第に 写
実に傾いた理知的浪漫主義の時期で、「牛肉と馬鈴薯」、「春の鳥」などの作品ある。
3)1906年から1908年までの現実主義の時期である。「窮死」、「二老人」など、
現実を諦視し、都市下層民の生活を同情をこめて描いた。
泉鏡花
<評価> 明治·大正·昭和の三代にわたって三百余編の作品を発表。感覚的文体
と矯激な美意識に支えられた浪漫的·神秘的文学に独自の境地を開いた。
<文学的活動>:1)小説 「照葉狂言」 「高野聖」 「歌行燈」 観念小
説 「夜行巡査」 「外科室」 2)戯曲 「日本橋」
徳富蘆花
弱者の側に立って、特異なキリスト教文学者である。清新な自然描写を確立し、
社会小説·告白文学·紀行文などに真価を発揮する。
<文学的活動>:1)翻訳 トルストイを紹介したことは注目される。2)小説
「黒潮」 「不如帰」。3)紀行·随筆 「自然と人生」
観念小説と悲惨小説
観念小説とは、当時作家が社会の不合理に対する抗議を一つの観念として、作品
に具象化したものである。代表作 泉鏡花の「夜行巡査」「外科室」、川上眉三
の「書記官」
悲惨小説(深刻小説)とは、戦後社会における社会の矛盾に着目し、庶民生活の
悲惨な様相に取材し、社会組織の罪悪や欠陥を究明しようとした小説。代表作 広
津柳浪の「今戸心中」
観念小説や悲惨小説は、作者の社会認識も自覚も幼稚で、内面の深化に至らなか
った。
社会小説
社会小説とは、観念小説·深刻小説の素材領域を拡大し、社会的変革を裡に持ちな
がら、その由縁を描こうとし、さらによりよき社会を願おうとした小説を指す。
代表作家と作品: 内田魯庵の「くれの廿八日」、「社会百面相」、 (社会小説の
第一人者)
徳富蘆花の「黒潮」などがある
浪漫主義をまとめて
詩歌→土井晩翠、島崎藤村、与謝野晶子
小説→森鴎外 (舞姫)、泉鏡花、国木田独歩、徳富蘆花
評論→北村透谷 (内部生命論)、高山樗牛 (美的生活論)
近代文学の成立と展開
時代区分 1906(明39)年から1923(大12)年関東震災まで。
背景:1)朝鮮、中国を侵略し、第一次大戦に参戦して、帝国になった。 2)
社会運動の勃発、政府の弾圧(幸徳秋水らの大逆事件) 3)大正デモク
ラシーの思潮を背景に、「米騒動」やロシア革命などの民衆運動も高まった。 4)思想的においては、個人主義、自由主義、合理主義、現実主義などのイデオ
ロギーが深化した。
概観:自然主義文学→独自の道を歩んだ鴎外と漱石
耽美派の文学
大正の出発となった白樺派の文学
芥川龍之介を代表とする「新思潮」派
近代リアリズム、石川啄木、「奇跡」派、「三田文学」派、「種蒔く人」のプロ
レタリア文学
自然主義
自然主義とは、ナチュラリズム(仏)の訳語で、19世紀の後半エミール·ゾラの
提唱によって起こり、やがてほとんど全ヨーロッパの中心となった文学思潮であ
る。
主張 自然科学(ダーウィンの「進化論」、ベルナールの「実験医学序説」など)
の方法を、人間およびその社会に適用して、真実に迫ろうとした。(ロマン主義に
反対)
代表作 ゾラの「実験小説論」
島崎藤村
評価 日本近代詩の創始者とも言うべき浪漫派詩人で(「若菜集」)、小説家に転じ
て、「家」と「個人」の問題を扱った長編を相次いで発表して、自然主義を代表す
る作家となる。
文学的活動 1)『文学界』時代。 2)『若菜集』による詩的自立。
3)詩から散文へ。 4)『破戒』による作家的自立。 5)
『春』から『家』へ。 6)『新生』から『夜明け前』へ
田山花袋
概括 日本自然主義の確立者、推進者として活躍し、多くの文学者に影響を与え
た。
文学的活動:前期 習作期より自然主義文学にいたるまで
中期 自然主義文学
後期 自然主義退潮以降晩年まで
代表作:『蒲団』 『田舎教師』 『生』 『妻』 『縁』(三部作)
徳田秋声
日本自然主義の勃興と軌を一にして自らの文学的資質を開花させ、その客観的
な現実描写、無理想無解決に通ずる透徹した筆致により、<生まれたる自然派>
と呼ばれる。
代表作 「新世帯」(1908 明41)
正宗白鳥
自然主義の波とともに文壇に登場し、知識人の孤独と無気力な人生を描き、評論
活動にも見るべきものが尐なくなかった。
代表作 『何処へ』(1908)
岩野泡鳴
象徴主義詩人として出発したが、評論「神秘的半獣主義』、『新自然主義』などによって、自然主義の異色の存在となった。人生は無目的だとする独自の哲学から、刹那主義の文学
を唱えた。花袋を観察的自然主義といえば、泡鳴は行動的自然主義であった。また、泡鳴
は視点を主人公一人に限定する「一元描写」を主張して、花袋の「平面描写」に対抗した。 日本自然主義文学の特異性
1)日本の自然主義文学は、思想的に強烈な自我意識を押し出すことによって「自
然派にしてロマン派的性格を兹ね備え、かつ後者の果たすべき役割を果たした」
ということである。
2)虚構性の否定、社会性の欠乏が日本自然主義文学の基本的な特色である。彼
らは事実の「真実」を追究するが、芸術上の真実性を忘れ、私小説の誕生を促す
ことになった。
3)社会問題に対する「無理想無解決」の傍観的態度で、実行を避け、観照に徹
し、現実の醜悪と暗黒の暴露に始終した。
夏目漱石
西洋化を急ぐ日本社会と、その中に生きる人間の心理とを、鋭く分析しまた痛烈に批判し
た文学者であった。近代日本の代表的作家であり、最も多くの読者を得た作家の一人と言
えよう。国民的大作家とも言えるほどの根強い人気を持ちながら、「漱石山脈」と言われ
る多くの門下生を育てたことも無視できぬ。
漱石の略歴:
1867年江戸牛込み馬場に生まれる。 1868年塩原家の養子となるが後年復籍。 1881年二松学舎に入学、漢学を学ぶ。 1884年大学予備門予科に入学。 1890年
東京帝国大学英文科入学。 1895年愛媛県尋常中学校(松山中学)に赴任。1896
年熊本の第五高等学校に赴任。中根鏡子と結婚。 1900年イギリス留学。「英国ぎ
らい」になった。 1903年帰国。一高·東大講師となる。神経衰弱。 1905
年『吾輩は猫である』。 1906年『坊ちゃん』 『草枕』。 1907年教職を辞し、朝日新聞社入社。『虞美人草』連載。胃病悪化。 1908年『夢十夜』 『三四郎』。 1909年 『それから』 養父に金を無心される。 1910年『門』 胃潰瘍で入院。
修善寺の大患。1911年文学博士号辞退。 1912年『彼岸過迄』 『行人』連載。 1914年『こころ』 講演「私の個人主義」。 1915年『硝子戸の中』 『道草』。 1916年『明暗』連載中に胃潰瘍悪化、死去
森鴎外の文学活動
1)第一期は帰国してから、甲午中日戦争に従軍するまで、浪漫主義紹介時代という。2)第二期は、甲午中日戦争から日露戦争までで、「小倉時期」ともいう。文筆活動から遠ざ
かる。3)第三期は、豊熟の期、「文壇再活躍の時代」であり、反自然主義期である。4)第四期は、歴史小説、史伝の期である。
耽美派
<概括> 写実ではなく空想を、倫理的価値ではなく美的価値を、内容よりも技
巧的完成を求めた文学流派であり、その芸術観は芸術至上主義的であり、享楽主
義及び快楽主義を信条とする。永井荷風、谷崎潤一郎が代表的作家である。
<展開>: パンの会の詩人、歌人(『明星』から脱退)
森鴎外や上田敏が率いる『スバル』の同人
永井荷風が主宰する『三田文学』
谷崎潤一郎を文壇に登場させる第二次『新思潮』
<主張> 卑小な人間とその醜悪な暗い側面を追求する自然主義文学に反発し
て、美を人生の最高のものとし、人生の意義は美の享楽と創造にあると主張する。
<背景> 日本資本主義の異常な発展と、これに伴う都市文化の全盛 (自然主
義文学が地方出身の知識青年を主体とする農村型の文学であるとすれば、これは、
近代資本の成熟を土台とする都市型の文学である。
永井荷風
<概括> 初期の荷風は旧文芸·旧道徳に反発してゾラの文学を移植した。のち、外国で
身につけた個人主義や自由を愛し、クラシックを尊重する精神に基づく官能的色彩の強い
小説を発表。自然主義全盛の文壇に耽美派の旋風を巻き起こした。大逆事件のころから反
時代的戯作者的態度を強め、情調と文明批評とが一体となったユニークな作品を示した。孤高反俗の姿勢をもって、徹底した個人主義を貫いた。
谷崎潤一郎
<概括>谷崎は約六十年の間第一線の作家としてひたすら小説を書き続けた。作風の変化
に応じて、悪魔主義、耽美主義、変態性欲的、古典主義などと呼ばれたが、詮ずるところ
生涯を通じて追求したのは、被虐的な性向をもった男性にとっての理想の女性(女性崇拝、官能美崇拝)とはいかなる存在であるかということであった。母性思慕という谷崎理解の
上での重宝な言葉も結局は右の範疇に含まれてしまう
白樺派
<概括> 明治43年(1910)四月創刊、大正12年(1923)終刊の雑誌「白樺」
に依拠し、活動した人々を指す。「白樺」は美術雑誌としての一面を強くもちつつ、
同時代の「三田文学」とともに反自然主義の立場をとり、大正中期には人道主義
的傾向を強めて、文壇の内外に影響を与えた。
<成立> 「白樺」は、学習院関係者による回覧雑誌「望野」「麦」「桃園」のメ
ンバーが合同して公刊した同人誌である。はじめから特定の共同の主張があって
結成された流派ではなく、それぞれの個性的な才能を伸ばし鍛えるための道場と
して結成されたのである。
<同人> 武者小路実篤、志賀直哉、木下利玄、有島武郎、有島生馬、里見弴た
ち
「白樺」派の特色:
1)「白樺」派の作家たちは、学習院出の貴族階級出身であったという特殊な存在
から、自我を肯定する個性主義を主張し、解放された市民文学らしい、明るく清
新な文学を確立したということである。
2)「和而不同」「十人十色」ということである。始めから共通の主張があって結
成されたのではなく、小説家·詩人·画家それぞれの個性の伸長のための結集であ
る。また、彼らの文学的傾向や文学運動に対する態度も同じではなかった。
武者小路実篤 有島武郎 志賀直哉
新思潮派
<概括> 広義には、明治40年10月創刊の第一次以来、東大文科関係者を中心
に十数次にわたって発刊されてきた同人誌『新思潮』によった人々をいうが、ご
く一般には大正期に華々しい活躍をみせた、第三次、第四次の構成メンバーに限
定して用いる例が多い。いわゆる新現実主義の一派として新理知派ないしは新技
巧派とも称された。
<成立> 大正3年2月、芥川、菊池らが第三次『新思潮』を創刊し、同年9月
をもって廃刊する。それから二年を経た大正5年2月第四次を刊行する。
<意義> 一足さきに自然主義を排しておこった白樺派、耽美派の人々に対して
は、同調しないが素直な共感をよせ、大道としては反自然主義の道を歩んだ。
芥川龍之介
<概括> 作品の多くは、人間性の内奥に潜むエゴイスティックな弱さを剔抉してみせる
ことにあったが、他方、柔らかな人間的情愛に根ざす抒情味あふれる作品も尐なくない。晩年には、自己の文学的宿命を凝視して自伝的題材に傾くが、繊細な神経と自意識によっ
てあくまで知的に再構成された人工の心象風景である。芥川は、学識は和漢洋にわたり、和歌、俳句を読み、詩を書き、古美術、演劇にも深い理解をもっていて、東洋的文人の風
格を備えた最後の作家である
菊池寛
<概括> 芸術至上に対し、文学の社会化を主張した戯曲·小説を発表し、新理知主義の
一人として活躍、実生活尊重の精神を貫いてジャーナリスト、編集経営者の手腕を振るい、また、芥川·直木の両賞を設置するなど文学の普及と発展に大きな功績を残した。「1935
(昭和10年)は、新人育成のため芥川賞·直木賞を設置し、のちには菊池寛賞(1936)を
設けた。菊池は文学者の地位向上にも力を注ぎ、文壇の大御所的役割を果たした
前期自然主義と後期自然主義
前期自然主義が現実暴露という外部現実であったのに対し、後期自然主義は内部的な心理
の現実を掘り下げようとする、心理的リアリズムに傾き、独自な私小説、心境小説の成熟
を促したのである。『奇蹟』派の文学は、『白樺』の無条件の明るさに対して、薄暗い灰色
の雰囲気が特徴的である
プロレタリア文学
• 第一期は、1921年の「種蒔く人」の創刊から、1923年関東大震災を機に政府が社
会主義者を弾圧、「種蒔く人」が廃刊するまで。
• 第二期は、1924年の「文芸戦線」の発刊から、1928年「ナップ」結成まで。1924
年6月、旧「種蒔く人」の同人を中心に「文芸戦線」を創刊した。
• 第三期は、1928年の「ナップ」(機関誌 「戦旗」)結成から、1934年に「日本プ
ロレタリア作家同盟」が壊滅するまで。
代表的な作家
代表的な作家は、小林多喜二、徳永直らである。そのうち小林多喜二の「蟹工船」、
徳永直の「太陽のない街」が、葉山嘉樹の「海に生くる人々」と並んで、プロレタリア文
学の三大傑作に数えられている。
• 小林多喜二 「転換期の人々」 「党生活者」
• 徳永直 「最初の記憶」 「先遣隊」
新感覚派
新感覚派の文学運動は、菊池寛主宰の『文芸春秋』の同人であった横光利一、川端康成、加宮貴一、今東光らを中心に、その他片岡鉄兵、十一谷義三郎ら14名の新進作家が、1924
年10月、同人雑誌『文芸時代』を創刊することによって始まるのである。一切の伝統と
権威に対する否定精神と機械化した現実への反抗が彼らの共通点であり、またはこの派の
主張である。こうして、「革命の文学」をめざす『文芸戦線』のプロレタリア文学と、「文
学の革命」をめざす芸術派の文学が相対立して存在するようになった
新感覚派の文学的背景
• 一、第一次世界大戦とロシア十月革命後、日本のブルジョア社会の動揺、プロレ
タリア文学の台頭およびブルジョア文学の行き詰まりである。
• 二、関東大震災が人間に与えた精神的影響と震災後の都市化現象である。
• 三、第一次世界大戦後、西欧前衛芸術の移植とその影響である。
• 新感覚派の文学特色:
• 第一、新感覚派の文学は、機械文明の発展と震災による人間性喪失の危機感、虚
無感を強く反映した文学である。
• 第二、新感覚派の文学は、擬人法や比喩などの表現技巧上の革新に重点を置いた
文学である。
• 第三、新感覚派の文学は、病的にまで鋭い神経や感覚、清新な用語、象徴や暗示
でもって、実人生の存在とその意義を捉え、表現しようとした。
横光利一
• <文学的活動>:初期は、新感覚派の時期(1923~1930)である。『蠅』、『日輪』、
『頭ならびに腹』、『上海』、『春は馬車に乗って』。 中期は、新心理主義の時期
(1930~1935)である。新感覚派の手法では人間を描ききれないと感じたらしく、
新心理主義に脱皮した。『機械』、『紋章』、『時計』。 後期は、東洋的精神主義の
時期(1935~1947)である。国粋思想の優位を証明しようとする長編『旅愁』を
発表したが、未完におわる。
• <代表作>
• 『蠅』(1923) 短編小説。横光はこの小説によって、人生というものを、冷静に、
かつ客観的に見つめていくのだ、という自らの姿勢を、悲喜こもごもの人生を背
負った人々の死を見下ろしながら、ただひとり飛び上がる目の大きな蠅の姿に象
徴させようとした。
• 『機械』(1930) 短編小説。 一労働者の独白の形で書き、工場に働く人々の心
理を、新心理主義手法即ち「意識の流れ」の手法を借りて描き出した小説である。
川端康成
<概括> はじめ横光利一と並び、新感覚派の代表的作家として斬新な作風を注目された
が、戦後は日本の伝統美を継ぐ姿勢を強くした。絶えず突きつけられる虚無の脅かしさを
超え、つらく醜い現実の中にも確かに存在する美しいもの、純粋なものを見つけ、そこに
生きる意義をかけていこうとするのが、作家的営みの中心だった。骨格の確かな写実的作
品より、人の心のゆらめきを、微妙に象徴的にとらえることを得意した。時評家として多
くの新人を世に送り出し、また戦後はペンクラブの活動に力を尽くし、日本初のノーベル
文学賞受賞者となった
代表作『伊豆の踊子』、『浅草紅団』、『禽獣』、『末期の目』、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』、『眠れる美女』、『山の音』。川端の作品に一貫して表現されるのはさまざまな日本の美し
さであった。1968年、「日本人の心の真髄を、すぐれた感受性をもって表現するその变述
の巧みさ」という理由でノーベル文学賞を受賞した時、川端は『美しい日本の私』と題し
て講演を行った。日本人二人目の受賞者となった大江健三郎の講演の題は『あいまいな日
本の私』。
『文芸時代』廃刊後の1930年4月に井伏鱒二、堀辰雄、、梶井基次郎、、阿部知二、小林
秀雄たち33名の中堅、新進作家が、「新興芸術派倶楽部」を結成した。彼らは、プロレタ
リア文学運動に対抗し、純文芸の擁護を旗印した
井伏鱒二
• <概括> ユーモアとペーソスをたたえた文体で、エゴイズムや人間の悲劇をや
わらかく包み込むといった作風の数々の名作を生み、文学活動五十年の余にわた
るその間、一度として筆の滞ることなく、当初は文壇の傍系に位置すると思われ
ていたものの、時が過ぎてみるとゆるぎなく昭和文学の核としての地位を築き上
げていたという、その意味では本当の個性的な実力派の作家であるといい得る。
• <代表作> 「山椒魚」、「屋根の上のサワン」、「本日休診」、「黒い雤」
梶井基次郎
• <概括>宿痾の肺病を背負い、倦怠、憂鬱、不安に侵された心に、束の間の生の
緊張、輝きを与えてくれる非日常的な心的現象を、理知的な観察にうらうちされ
た、感覚的文体で精緻に描いた。その二十余の珠玉の短編は、昭和の古典とも称
される。
• <代表作> 『檸檬』、『城のある町にて』、『冬の蠅』、『闇の絵巻』
堀辰雄
• <概括> 昭和初期の軽佻浮薄なモダニズム文学隆盛の最中に、透徹した知性と
清新な变情性の溢れる作品をもって登場。生· 死·愛 の主題を深めた諸作で昭和
文学史上に大きな足跡を残した。
• <代表作> 『聖家族』、『美しい村』、『風たちぬ』
伊藤整
• <概括> 創作、理論の両面にわたって、二十世紀文学の方法を積極的に取り入
れながら、私小説的作品の与える感動を純粋な芸術的因子として抽出し、作品化
することをめざした。文学史的には、新感覚派を知的·心理的方向に批判的に継承
しつつ、プロレタリア文学に対峙する<芸術派>の代表的理論家兹実作者として
文壇に登場し、戦中·戦後にわたって、現代日本文学史上まれに見る幅広い活動を
行った。
• <代表作> 『若い詩人の肖像』、『氾濫』、『小説の方法』、『小説の認識
戦争文学期
• 特徴:1)プロレタリア文学の弾圧ーー転向文学の発生; 2)戦争文学の流行。
3)抵抗文学の難航。 4)既成大家の活動。
• 転向文学:権力に屈してマルクス主義作家としての政治性や思想性を放棄した「転
向文学」が軍国主義の強化とともに相次いで現れるようになった。転向作家には
さまざまな種類があった。1)良心的苦悩を私小説的に描く作家、島木健作、立
野信之たちである。2)転向の社会的責任を自覚し、再起の準備をしている作家
で、中野重治らである。3)転向してまったく逆の方向、つまり右翼に走った作
家、その代表は林房雄である。
抵抗文学:
• 宮本百合子は極めて困難な状況の中で評論集『明日への精神』、『文学の進路』な
どの評論を発表したが、これらはファシズムの権力から人間と文学を守ろうとし
て戦った記念碑と言える。同時に、『朝の風』その他の小説と、戦後発表された夫
宮本顕治との往復書簡『12年の手紙』などの作品は、暗黒時代における百合子の
不朽の作品であり、抵抗文学を代表するものである。
中島敦
• 敦の作家生活は死の直前の約八ヶ月。1942年病弱でついに33歳で死去するが、
この一年満たない間に、『山月記』や『名人伝』が世に出た。中島敦の作品は中国
の古典から題材を得たもの、南洋諸島に赴任した際に題材を得て創作されたもの、
そして過剰な自意識に悩む人間の有様を描いたものの三つに大きく分けられる。
どの作品も、軍事色が濃くなりつつある時代の波に左右されることのない敦自身
の教養と、揺るぎない独創性に支えられている。 『悟淨歎異』、『李陵』
時代と文学についての概観
• 第一期は、敗戦から朝鮮戦争勃発までの五年間(1945~1950)である。(老大家の
復活と左翼作家の活躍)
• 第二期は、朝鮮戦争の勃発から「安保闘争」までの十年間(1950~1960)である。
この十年をまた1955年石原慎太郎の『太陽の季節』の登場をさかいに前期と後期
に分けることもできる。(第三の新人、戦後派) 第三期は、1960年の「安保闘争」からの60年代の文学を指す。(戦後派の解体、
新人作家の活躍)
• 第四期は、1970年前後の公害問題と、1973年以後の70年代と80年代の文学であ
る。この時期には、「脱イデオロギーの内向的文学世代」という「内向の世代」が
活躍する。
老大家の復活
• 永井荷風 『踊子』
• 谷崎潤一郎 『細雪』、『尐将滋幹の母』
• 正宗白鳥 『戦災者の悲しみ』、『日本脱出』
• 志賀直哉 『灰色の月』
• 里見弴 『姥捨』
• 老大家の復活は、敗戦直後の文学的空白を埋める役割を果たした。
左翼作家
• 宮本百合子 『播州平野』、『道標』
• 徳永直 『妻よねむれ』
• 中野重治 『五勺の酒』
• 佐多稲子 『私の東京地図』
• 平林たい子 『かういふ女』
• 宮本百合子は、戦争中非転向の立場を取り続け、戦後民主主義文学の中心人物と
して活躍した日本有名な女流作家である。
新戯作派(無頼派)作家
• 占領下の戦後の混乱のなかで次に活躍しはじめて、それまでの秩序が打ち砕かれ
ていくのとともに、自嘲的でデカダンス(退廃的)な作風で小説を書いた人々は、世間から新戯作派或いは無頼派、反秩序作家とも称される。
• 代表作家 太宰治、坂口安吾、織田作之助石川淳、伊藤整
戦後派文学
第一次戦後派としては、戦後派作家のうちで、敗戦直後の比較的早い時点において、内容的にも方法的にも既成文学を乗り越えて新しい文学を目指そうとした一群の作家、すなわち野間宏、椎名麟三、梅崎春生、中村真一郎を挙げるのが通説である。1946、1947年に登場した以上の作家を第一次戦後派と呼び、1948、1949年に登場した武田泰淳、大岡昇平、三島由紀夫、安部公房、堀田善衛らを第二次戦後派と呼んでいる。
第二次戦後派
• 武田泰淳
• 大岡昇平
• 安部公房
• 三島由紀夫
• 堀田善衛
• 1)いわゆる「政治と文学」の問題についての鋭い問題意識である。
• 2)「実存主義的傾向」である。
• 3)「在来の日本的リアリズムと私小説の揚棄、正確にはそれの希願と呼ぶべきも
の」が挙げられる。
• 4)「視野の拡大」である。
中間小説
• 戦後の言論·表現の自由化に伴い、出版ジャーナリズムが飛躍的に巨大化し、19
47年雑誌『小説新潮』の創刊ごろから、中間小説が流行し始めた。純文学者が純文学の芸術性を備えながら通俗小説のおもしろさを盛った読物小説を書くようになった。このような純文学とも、通俗小説とも「どちらともつかぬいわは疑似純文学、疑似通俗小説の総称」を中間小説と呼ぶようになり、中間小説が掲載された雑誌を「中間雑誌」と呼ぶようになった。石川達三、石坂洋次郎、獅子文六、丹羽文雄らがこの傾向の作品を多く発表し、高見順、井上靖、平林たい子らも純
文学と中間小説の両面に筆を取っている。石川達三
• 井上靖
原爆小説
• 原爆の悲惨さをいち早く文学の世界にとりあげたのは、直接的な被爆体験をもつ
原民喜や大田洋子であった。彼らは自己の悲痛な体験を精神の最深部から搾り出すようにして、作品に形象化し記録した。被爆は戦争の問題であると同時に戦後の問題でもあった。しかし、アメリカの占領下の時代であったため、原爆のことはタブーになっていた。
• 原民喜
• 大田洋子
「第3の新人」の文学
いわゆる「第3の新人」と呼ばれる作家たちが文壇に登場したのは、朝鮮戦争の終わりごろのことである。「第3の新人」という呼称の定着は、山本健吉の評論「第3の新人」に由来したもので、特需文学という評価とともに貶めるニュアンスを伴っていた。「第3の新人」には、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、三浦朱門、遠藤周作らが代表的作家である。
「内向の世代」の文学
1970年前後に文壇に登場してきたのが「内向の世代」と呼ばれる古井由吉、黒井千次、阿部昭、柏原兵三ら一群の作家たちである。「内向の世代」という呼称は、小田切秀雄によるもので、「脱イデオロギーの内向的文学世代」という規定で、社会的意識が乏しく、個人的状況下における自我の凝視という時流を批判したものであった。
「内向の世代」の文学的特色:
1)日常的言語によっての小説世界を成立させている。2)「非現実世界」を「日常性」に導入し、シュールレアリズム的な方法が取り入れられている。3)都市生活が小説化されている。4)「無意味な人間が、無意味な場所で、無意味に生きている」その一粒の砂のような生存の姿であるということ
中間小説と大衆文学:
井上靖や石川達三など中間小説の代表的作家の後、若い世代の作家五木寛之、小田実らが中間小説を発表している。中間小説は、芸術性と物語性を備えた大衆文学とも言える。大衆文学はもと時代小説と通俗小説を指すものであるが、広義には、推理小説、冒険小説、ユーモア小説、怪奇小説、尐年尐女小説を言い、SFを含む場合もある。
高度成長下の文学:
戦後日本の経済は、1955年ごろから経済の高度成長期に入り、1970年ごろになって、高度成長が終わり始めるのである。この時期の文学を、1)1955~1960年の石原慎太郎·開高健·大江健三郎を代表とする「戦後世代』の時期。2)1960~1970年の『人間として』という雑誌を創刊した高橋和巳·小田実·柴田翔らが登場し活躍した時期 と二つの時期に分けられる。
「戦後世代」の文学:
高度成長期に入って、快楽的自我の充足を求めて既成の秩序や習慣、観念を破り出る「あまりにも時代にぴったり」する世代を描く石原慎太郎が『太陽の季節』(1955)で芥川賞受賞により登場し、それと全く対立的な性格の作家開高健が『裸の王様』(1957)で、大江健三郎が『飼育』(1958)によってそれぞれ芥川賞に当選して、二系列の新しい文学世代が活躍した。彼らを一般的に戦後世代の文学ともいっている。
大江健三郎
現代を核に支配される危機的時代として認識し、その全体的表現を志向する小説家。戦後青年の虚無的心情を、固有のイメージと文体で描いた初期から、常に時代とともにあって、状況と主体に真摯な関心を持つ。また自己の特異な文体に対しても、小説理論家としての方法意識によって不断の変革を試みる。小説の他、評論·講演·書評(芥川賞審査や文芸時評を含めて)のジャンルにおいても意欲的な活動を続ける。詩的想像力による独自の世界と時代に向けた発言が認められ、1994年ノーベル文学賞を受賞した。
• <代表作>
• 『死者の奢り』(1957)、 『人間の羊』(1958、「壁の中の人間」の監禁状態を
追求した)
• 『飼育』 (1958、芥川賞受賞)
• 『個人的な体験』(1964)
• 『万延元年のフットボール』(1967、谷崎賞受賞)
• 『核時代の想像力』(1970)
• 『人間として』の文学
平成の文学
• 村上春樹:『ノルウェイの森』がベストセラーになった村上春樹は、長編『ねじま
き鳥クロニクル』、阪神·淡路大震災をモチーフにした連作短編『神の子どもたちはみな踊る』を発表。小説以外でも『約束された場所で』など、インタビューという手法を選んで現代社会に生きる人の心を描き出す。
• 村上龍 『希望の国のエクソダス』など現在の問題を直視した作品を次々に発表。 • 吉本ばなな 『キッチン』で若い読者の心をつかんで、短編集『体は全部知って
いる』
• 山田詠美 『放課後の音符』 『僕は勉強ができない』
• また、ロック歌手の辻仁成、パンク歌手の町田康、演劇の柳美里が芥川賞を受賞。
他分野出身の作家も活躍している。