为什么犯人的衣服是条纹图案的?--被唾弃的"条纹图案"的历史
编者按:在撰写《“囚服”谢幕——尊重身体的司法细节》这篇文章的时候,查找资料,偶然从日语猫看到本文,收录下来,作为研究资料分享。如果只看原文,对于很多人来说阅读难度有点大,能看到最后的肯定是大神。小明哥哥(微信号:uu1215m)是真的没(zhen)时(bu)间(dong)翻译,不过好在身边有本事的朋友多,终于可以分享中文的了。
日文来源:日语猫
中文翻译:张曦晔
首发:检察百科(微信号:prowiki)
なぜ囚人の服は縞模様なのか
忌み嫌われた「縞模様」の歴史
为什么犯人的衣服是条纹图案的?
——被唾弃的“条纹图案”的历史
囚人といえば、なぜか上下縞模様の服を思い浮かべます。最近だと、漫画「プリズンスクール」の男子生徒たちもそうだし、アニメ「ウサビッチ」のキャラもそうだし、ゲーム「ストリートファイター」シリーズに出てくるコーディーもそう。
说起犯人,为什么总会想起横条纹图案的衣服呢。就最近来说,漫画《监狱学园》中的男学生、动漫《越狱兔》中的角色、亦或是游戏《街头霸王》系列中出现的Cody都是这么穿的。
漫画《监狱学园》的真人化
动漫《越狱兔》里的两只蠢萌兔子
Cody:穿成这样怪我咯?
なんで囚人は縞模様の服がステレオタイプになっているんでしょうか。単純に、脱獄された時にそれと分かりやすいという実利的な面もあるでしょうが、歴史を紐解いてみれば、そもそも西洋で「縞模様」が忌み嫌われ、ある種「不吉」や「排斥」のシンボルだったのが根本にあるようなのです。
为什么犯人要穿条纹图案的服装逐渐变成了定式呢?这里面确实有单纯的当犯人越狱时便于分辨这样功利的考量,但把历史抽丝剥茧来看的话,起根上来说还是西方对于“条纹图案”的唾弃,其是建立在代表了某种“不祥”和“排斥”的基础之上。
聖書の記述と「愚か者」たち圣经的描述与“蠢人”们
「 レビ記」第19章19節にこうあります。“二種の糸の交ぜ織りの衣服を身につけてはならない”
利未记第十九章十九节是这么说的:“不可用两样掺杂的料作衣服穿在身上。”
曖昧な書き方で、素材が同じなら色が違ってもいいのか、二種の「色の」糸の交ぜ織りなのかよく分かりません。この記述のせいで、ユダヤの慣習では2種の色が混ざった服は忌み嫌われたようです。このように紀元前の頃から「縞模様」を避ける習慣がありましたが、 広く定着したのは中世ヨーロッパにおいてです。着る衣服や、飾るための布の模様には、縞模様は避けられていました。逆に望ましくないイメージとして、聖書に登場する「愚か者」を写本に描く時、その衣装に「縞模様」を描きました。
因为写得暧昧,到底是说素材相同颜色不同也可以呢,还是说用两种颜色的线编制而成就不得而知了。但正因为这种描述,犹太民族用两种颜色混合制成衣服的习俗被人所唾弃。就这样,从公元前开始避免使用“条纹图案”成为了习惯,但广泛成为一种定式还要说是在中世纪的欧洲。无论是穿的衣服还是用于装饰的布都要回避使用条纹图案。回头看圣经一书中描写“蠢人”登场的时候,若谁穿着“条纹图案”的衣服登场,一定是被作为反面典型所描绘的。
▼兄弟のアベルを殺したカイン
杀了弟弟亚伯的该隐
(译者注:人类历史上最早的杀人犯)
▼イエスを裏切ったイスカリオテのユダ
背叛了耶稣的加略人犹大
その他、洗礼者ヨハネの首を求めた異常者サロメ、神の命に従わなかったイスラエル初代国王サウル、サムスンをペリシテ人に渡したデリラなど、「聖書の悪役」たちは縞の衣装を着させられ描かれました。時代が進むにつれこの「縞模様リスト」は増えていき、文学作品に登場する悪役、例えば「ロランの歌」の裏切り者ガヌロンなど、あらゆる悪役たちが「縞模様」を着せられて描かれるようになっていきました。
此外,要施洗者圣约翰的项上人头的异常者莎乐美、不听从神的命令的以色列第一任国王扫罗王、把参孙交给非利士人的达丽拉等等“圣经的反派角色”们都被描写穿着条纹图案的衣服。随着时代的进步,这个“条纹图案黑名单”的人数也在增多,文学作品中出现的反派角色,比如《罗兰之歌》中的叛徒加奈隆等等,所有的反派角色都逐渐被描绘成穿着“条纹图案”的衣服的人。
カルメル修道会外套事件
加尔默罗修道会外套事件
中世最大の「縞模様恐慌」は、カルメル修道会の修道士たちが着る外套が原因で起こった。1254年夏、フランス国王ルイ9世が、壊滅的敗北と捕虜生活という散々な結果に終わった第7回十字軍からパリに帰還しました。王は、パレスチナのカルメル山で隠遁生活を送っていたカルメル修道会の修道士数名を引き連れて帰ってきました。彼らの格好を見てパリ市民は仰天し、次いで口汚く彼らを罵るようになった。なぜなら修道士達は「グレーの縞模様の外套」を着ていたからです。この外套はカルメル修道会の伝統的意匠で、会の創始者の預言者エリヤの伝説に基づくとか、4つの線は「勇気、正義、賢明、節約」を表すとか色々言われていますが、とにかく他の修道士はおろか、当時の一般常識では考えられない衣装だったわけです。カルメル修道会の修道士たちは、パリのみならず、イングランド、イタリア、プロヴァンス、ライン河沿岸など、ヨーロッパ各地の民衆から罵声を受け、時には暴力を振るわれることもありました。見かねたローマ教皇アレクサンデル4世は、縞の外套を放棄して無地の外套を着るように修道会に要求しました。しかし答えはNO。
中世纪最大的“条纹图案恐慌”是由加尔默罗修道会的修道士们所穿着的外套引起的。1254年夏,法国国王路易九世从以大溃败和俘虏生活而告终的第七次十字军回到巴黎。国王同时把在巴勒斯坦的加尔默罗山过着隐居生活的几名加尔默罗修道会的修道士也带了回来。看到他们打扮的巴黎市民大吃一惊,继而对他们破口大骂,正因为这些修道士们穿的是“灰条纹图案的外套”。这个外套的设计主要来自于修道会的创始人和先知以利亚的传说,是加尔默罗修道会的传统样式。4条线分别表示了“勇气、正义、贤明、节约”——尽管有着种种说法,但是不管怎么说是对其他修道士乃至从当时的普通常识来讲难以理解的服装。加尔默罗修道会的修道士们不只是在巴黎,在英格兰、意大利、普罗旺斯、莱茵河沿岸等等欧洲各地,都挨民众的骂,有时还被人施以暴力。不能再视而不见的罗马教皇亚历山大四世要求修道会放弃穿条纹外套,改穿纯色外套。但是修道会的回答是NO。
外套事件
「外套事件」はヨーロッパ中で一大論争を巻き起こし、一時は修道会自体の存続すら危うくなる始末でしたが、1274年に就任した総会長ピエール?ド?ミヨーは教皇の意向を受け入れた。内部調整を13年した結果、とうとう1287年に「純白のケープ」を採用し、大騒ぎを巻き起こした「外套事件」は幕を閉じたのでした。
“外套事件”在欧洲掀起了一大争论,一时间变成了危及修道会自身存亡的事端,所以于1274年就任的总会长皮埃尔·德·米约采纳了教皇的意见。修道会内部调整了13年,到最后在1287年采用了“纯白的教袍”,掀起了大骚动的“外套事件”才算是告一段落。
なぜ「縞模様」は嫌われたのか
为什么“条纹图案”被嫌弃
なぜ昔の人は縞模様を嫌ったのでしょうか。ここらへんはもう本能的なもので、例えば黒板を指で引っ掻く音が嫌なように、説明はできないけど何か嫌だ、不快だ、みたいな感覚的な領域なのではないかと思います。ミシェル?パストゥローはこのように述べています。地と図柄を明確に区別しないために見る者の目を混乱させるような表面構造に対して、中世人は嫌悪感を抱いていたようである。要するに、昔は「背景があって、物や人がその前面にある」というデザインが普通であり、「柄全体をデザインとして捉える」という習慣がなかった。縞模様には背景も前面もなく、昔の人はそういうデザインを見ると「何をどう見ればいいのか」と混乱し恐怖を感じてしまったのではないか、というのです。
为什么过去的人讨厌条纹图案呢?我想可能是因为本能反应,就像讨厌用手指在黑板上划的声音那样,无法说明但是总觉得讨厌不爽这样的感觉。米歇尔·巴斯图罗是这样说的。因为“条纹图案”的表面构造无法明确地区别背景和图案,从而造成了观者的视觉混乱,中世纪的人可能因此对之抱有厌恶感。最重要的是,在以前“物和人在背景前面”这样的设计很常见,而“把全部图案当做设计来认知”的习惯还没有。因为条纹图案不存在背景也不存在前面,所以过去的人看了这样的设计,感受到的是“这是什么东西?怎么来看?”的混乱与恐怖。
条纹图案
いまでも縞模様を見るとぞっとする、恐怖を感じる、という「縞模様恐怖症」の人は存在するらしいし、1945年のヒッチコック映画「白い恐怖(Spelboud)」も、白地に縞の模様を見ると発作を起こすエドワード博士が主人公です。中世で「悪魔の意匠」とされた縞模様は、「聖なる領域」に対比する存在の者たちと結び付けられ考えられるようになっていきます。犯罪者、障害者、低級な仕事に従事する者(下人や売春婦、死刑執行人など)、そして異教徒あるいは異教に転向した者を現すようになっていきます。これらの者は「視覚を乱す」のと同じく「社会を乱す者」であり、秩序に反する者でありました。
就算现在看到条纹图案就毛骨悚然,感到恐怖的所谓“条纹图案恐怖症”的人也是存在的,1945年的希区柯克电影《白色恐怖(Spelboud)》也有看到白地上有条纹图案的花纹就发作的主人公爱德华博士。在中世纪条纹图案被认为是“恶魔的设计”,是用在和“神圣领域”所相对的人的身上的。这在罪犯、残疾人、以及从事低贱工作的人(比如佣人、妓女、刽子手等等),还有异教徒或者转信了异教的人的身上都有体现。这些人和“条纹图案混乱了人的视觉”一样,是“搅乱了社会的人”,是破坏了秩序的人。
「劣った者」が着る縞模様
“劣等人”所穿着的条纹图案
近世になると、縞模様は単に「排斥」の対象ではなく、「従属する者」を現す記号の意味を持ち始めます。「排斥されるべき者 → 自分たちより劣った者 → 劣っているため従属させられるべき存在」というように意味が拡大していったのでしょうか。特に軽蔑や悪魔的な意味を持つものではなく、単に劣った立場の者を現しました。例えば、宮廷の下僕、給士係、軍人、狩猟係、低級役人など君主に使える身分が下の職業の者が、縞模様の服を着させられました。
到了近代,条纹图案不仅仅单纯指排斥的对象,更是开始具有了一种表现“隶属者”符号的意思。“被排斥的人 → 比起自己劣等的人 → 因为劣等必须隶属于他人的存在”,这样其含义逐渐被扩大。其并不再表示轻蔑和邪恶的含义,而单纯地只是表达身份卑贱。比如说,宫廷的仆人、服务生、军人、猎人、低等佣人等等被君主所差役的身份低下的人被要求穿上了条纹图案的衣服。
▼De arte venandi cum avibusに描かれた鷹匠
De arte venandi cum avibus所描绘的驯鹰人
▼18世紀のフランスの辞書に描かれた道化師
18世纪的法国词典里所描绘的小丑
▼16世紀のバイエルンの伝令官(ヘラルド)
16世纪的巴伐利亚传令官(Herald)
このような「縞模様=従属的」という価値観は長い間生き続け、つい19世紀までホテルのボーイや給士係の衣装デザインといえば、黒と黄色の縞のチョッキでした。
这样“条纹图案=隶属的”价值观在很长的一段时间内生根发芽,到了19世纪,一提到宾馆的门童和服务生的衣服设计,就是黑黄条纹的马甲。
内斯特
「タンタンの冒険」で出てくる執事ネストルもこのチョッキを着ています。
《丁丁历险记》里出现的管家内斯特也穿着这样的马甲。
「野蛮」の象徴
“野蛮”的象征
1500年代に入ると、ヨーロッパの宮廷や邸宅では黒人の下僕や奴隷を持つことが流行し、好んで縞模様の衣装を着せました。劣った異教徒であり、かつ隷属される存在である、というヨーロッパ人が考える縞模様とドンピシャの存在であります。
进入了16世纪,欧洲的宫廷和宅邸内流行拥有黑人仆人和奴隶,他们的主人特别喜欢让他们穿条纹图案的衣服。作为劣等的异教徒外加上被奴隶的身份,简直就是欧洲人所想的穿着条纹图案的典型模板。
▼Lancret, Woman with a Servant
朗克雷,带着佣人的女人
▼Catherine-Marie Legendre And A Young Black Servant
凯瑟琳-玛丽?勒让德与年轻黑佣
「黒人=縞模様」という認識は広くできあがっていき、絵画にも大きく影響を与えました。例えば、聖書をモチーフにした絵画で、「東方三博士」の1人バルタザールは昔から黒人の姿で描かれることがありましたが、この頃にはバルタザールに縞模様の衣装を着せて描かれました。
“黑人=条纹图案”这样的认识被广泛传播开来,是极大地受到了绘画的影响。比如在表现圣经的绘画里,自古以来就被描绘成黑人模样的“东方三博士”之一的巴尔萨泽,此时就身着条纹图案的衣服出现。
▼エル?グレコ Adoration of the Magi
格雷考 博士来拜
バルタザールはむしろ聖人なんですが、黒人を描く場合は縞模様の衣装を着せる、という暗黙の了解のようなものがあったようです。当時のヨーロッパ人にとって、縞模様とはそれをつけるだけで「野蛮」「文明から離れた存在」とみなすことができると同時に、ある種「異国情緒」「オリエンタリズム」を感じるデザインにもなっていくのでした。
巴尔萨泽虽说是圣人,但在当作黑人被描绘的情况下身着的还是心照不宣的”被穿上了“条纹图案的衣服。在当时的欧洲人看来,条纹图案在被看作“野蛮”、“远离文明的存在”的同时,也逐渐变成某种能让人感到“异国情绪”、“异质”的东西。
オリエンタルでオシャレな縞模様因“异质”而时尚的条纹图案
縞模様をファッションや室内装飾に用いるのは、16世紀の時代から徐々に流行り始め、18世紀後半のロマン主義の時代に爆発的に流行しました。はじめドイツで起こり、イタリア、フランス、イングランドに広がっていき、特に上流階級で縦縞模様の服を着るのが流行しました。特に有名なのが、フランス王フランソワ1世の肖像。
条纹图案被用作于时尚和室内装饰是从16世纪开始渐渐流行开来,到了18世纪后半叶即浪漫主义时代就已流行得一发不可收拾。最初从德国开始,不断向意大利、法国、英格兰扩展开来,特别是在上流社会,竖条纹的衣服最为流行。这里面最有名的,莫过于法兰西国王弗朗索瓦一世的肖像。
法兰西国王弗朗索瓦一世
黒&紫、緑&金、黄&茶などを並べたデザインは特に貴族の間で流行りましたが、三十年戦争で悪名高いドイツ傭兵ランツクネヒトが縞模様の服装を着て暴れまわったため、一気に地位が低下し縞模様は捨て去られてしまいました。
黑色与紫色、绿色与金色、黄色与茶色等等并列开来竖条纹的设计在贵族之间特别流行,但是因三十年战争而臭名昭著的德国雇佣长矛兵,正是由于穿着条纹图案的衣服横行天下从而一举将条纹图案表示地位低下的印象一扫而光。
长矛兵
革命のトリコロール
革命的三色旗
18世紀末にヨーロッパに吹き荒れた革命の嵐の中で、人々が掲げたのが「三色のトリコロール」です。トリコロールは自由や民主、抑圧からの解放の象徴であり、現在でも多くの国が国旗として用いているデザインです。
18世纪末自欧洲席卷而来的革命的暴风之中,人们所扛的正是“三色旗”。三色旗作为自由、民主、从压迫中获得解放的象征,即便现在也是许多国家国旗所用的设计。
攻占巴士底狱
トリコロールは1789年の7月のバスティーユ襲撃あたりから取り入れられたデザインらしく、「革命のフィロソフィーを象徴するアイコン」として急速に国民軍の間に広まっていきました。縞模様を身につけることは、革命に賛同し市民の団結させることであると同時に、古い価値観を上書きすることを意味しました。これにより、縞模様はよりアイコニックな「記章」としての意味を持つようになったのでした。
三色旗大概是从1789年7月攻占巴士底狱开始采用的设计,作为“象征了革命哲学的标志”迅速在国民军间传播开来。把条纹图案披在身上这件事团结了赞成革命的市民的同时,也意味着对古老的价值观进行挑战。正因如此,条纹图案因此有了更具标志性的“印章”的意味。
ポジとネガが混在する縞模様
积极与消极并存的条纹图案
このように、縞模様は単純に「嫌悪」や「劣等」というマイナスな意味だけでなく、「革新」や「斬新」といったプラスな価値をも併せ含みながら存在し続けてきました。
就这样,条纹图案不再仅是单纯地表示“嫌恶”与“劣等”的负面意思,也并存包含了“革新”与“崭新”之类积极的价值而继续存在下来。
蓝白宽横条的衬衫
ぼくの肌感的にも、青と白の太い横縞のシャツとか、縞模様のシャツと帽子とかははために滑稽に見えて、着るのは太ったオッサンか子ども、あるいはペット。ただし服装の中に一部だけ縞があり、それが細い縦縞のスーツとか、グレーの縦縞のパンツとかだったら、オシャレじゃんと思う。おそらく我々自身も無意識のうちに、これらの「ポジティブな意味を持つ縞模様」と「ネガティブな意味を持つ縞模様」を認識仕分けていると思うのです。
从我个人的观感来看,蓝白宽横条的衬衫也好、条纹衬衫和帽子也好,看上去都非常滑稽,穿戴它们的该是胖太太、小孩子或是宠物。但是我的衣服中也有一部分是带条纹的,包括细竖条的西服、灰色竖条的短裤,我觉得还是挺漂亮的。我想恐怕我们自己还没意识到的时候,就已经把这些分成“积极的条纹图案”和“消极的条纹图案”加以认识了。
奥斯维辛集中营
そのネガティブな意味の代表格が、冒頭にあげた「囚人服」です。アウシュビッツ収容所に入れられた人たちは、皆この縞模様の囚人服を着させられました。先に述べたとおり、全身縞模様だと逃亡した時に「囚人」だと見分けやすいから、視覚的にも目立つし、町の人も「こいつは逃亡囚人だ」すぐ分かるから協力しやすい。
说到消极意味的代表,首推的就是“囚服”了。被关进奥斯维辛集中营的人们,都是被强迫穿着这样条纹图案的囚服。正如前面所说的那样,全身穿着条纹图案的衣服越狱的“犯人”一眼就会被看出来,视觉上很是醒目,城里的人也会一下明白“这家伙是逃犯”而很愿意提供帮助。
そういった実利的な面もありますが、その裏には中世の時代から息づく「社会的追放」「特殊人物の刻印」という意味が秘められているのではないかと思うのです。呪われた模様を一様に着させることで社会から締め出し、関係を絶ち、個と尊厳を奪う。そして刑務所という、社会から隔離された場所に「閉じ込める」わけです。また、監獄の格子も「隔離」を象徴するアイコンとして機能しているような気もします。考えすぎでしょうかね。
虽说有这样的功利的一面,但是其背后还暗藏了从中世纪开始持续到现在的“被社会驱逐“、“特殊人物的烙印”的意思。而那条纹图案就好像被诅咒的图案一样,穿着它就等于被社会所驱逐、关系被断绝、个人的尊严被剥夺。所以被关到监狱这个与社会所隔离的地方也是应该的。此外,也会让人联想到标志性的象征着“隔离”的监狱的格子。当然,这点也可能是我想多了。
まとめ总结
普段あまり意識しませんが、よく考えたら「縞模様」は「オシャレ」であり「アイコン的」でもあります。以前職場に、青のボーダーのシャツを着て行ったら、会社の先輩に「お前は佐川のお兄さんか!」 とからかわれたことがあります。オシャレだと思っていたのに、そう言われると一気にそのシャツは「佐川のシャツ」にしか見えなくなって、着なくなってしまいました。ボーダーシャツというシンプルなデザインにも、視覚的要素と社会的意味の複雑なからみ合いが見て取れるのです。
平时没太意识到,但是仔细想想“条纹图案“也是”标志性”的“臭美”。以前,我要是穿着蓝色条纹的衬衫去上班的话,就会被公司的前辈取笑道:“你是佐川快递的小哥吧!”本想穿出来显摆一下却被说成是送快递的,我一气之下再也没穿过那件被说成是“佐川快递的制服”的衬衫。像条纹衬衫这样虽然设计简单,却是具备了视觉要素和社会意义的结合体由此便可见一斑。